ドリームランドの生涯

※肝心な概要ですが、調整中です
横浜ドリームランドとは、興行師であり実業家の松尾国三氏が創った
日本初テーマパーク型の高級遊園地。


横浜ドリームランド完成予想図 実業界 1993

開園頃の様子(宮廷庭園付近)

一面が麦畑であった広大な農地が、遊園地「横浜ドリームランド」に
生まれ変わったのは1964年8月。東京オリンピックの2ヶ月前だった。

当時国内トップクラスの一大娯楽施設で、ホテルやプール、
ボウリング場、テニスコートなどもあった。

アメリカのディズニーランドを模倣した奈良ドリームランドでは、
子供が中心で大人が遊ぶには物足りないという欠点があり、
横浜ドリームランドでは約49万㎡の敷地にチボリのような欧米の遊園地を模倣し
遊園地のほかホテル、プール、テニスコート、ゴルフ場、ボーリング場などを
あらゆるレジャー施設を完備した。
立地条件を悪さを解決するために大船駅および小田急六会駅より
モノレールを敷いて客の誘致を図ることとした。
俣野町で農業を営む戸塚家では、用地として三反(約30アール)
の農地を提供した。六代目の戸塚榮一さんは当時21歳だった。
「『夢の楽園』という言葉がぴったりでした。
俣野町が一気に脚光を呼び、明るくなった。土日は渋滞で原宿方面へ
行けないほど。ホテルエンパイアが大人気で、21階の回転レストランは
いつも満員でした」
ホテルエンパイアとは、開業翌年に竣工した県内初の高層建築物。
この技術が霞ヶ関ビル(東京都)にも反映されたという。
仏塔を思わせるオリエンタルなデザインが特徴的だ。
アトラクションで人気だったのは、高さ75メートルの大観覧車
ワンダーホイール」や潜水艦。衛兵パレードも珍しかった。
「丘の上の大観覧車からは、それまで知っていた景色とは全く違う眺めが広がっていた。
この観覧車は誇るべきものだと思いました」

1970年代に入ると、敷地は一部売却され、団地が建設された。
1983年、東京ディズニーランドが開業すると衰退の一途をたどり2002年に閉園。
現在、敷地の東側は横浜薬科大学キャンパスになり、ホテルエンパイアは建物をそのまま生かして図書館棟として利用されている。
西側は私立俣野公園と市営墓地になった。

戸塚区制70周年記念写真集 2009年より
実業の日本 1963年より

 

1993年当時(2代目コーヒーカップ付近)

戸塚区の東端、俣野町にあり、北側は泉区和泉町と接している、
昭和39年8月2日に開園した総合レジャー施設で、開園当初から
家族連れで賑わっている。面積は約132万平方メートル。
写真に見える大観覧車はワンダーホイールといい、可動式のゴンドラ
があり、最大高所75メートルからの眺望は最高である。
その他にもシャトルループ(ジェットコースター)、トップスピンパイラット、レインボーなどスリルと迫力満点の遊戯施設や、プール(夏期)、スケートリンク(冬期)もあり、県の内外から家族連れや若者が遊びにやって来る。
同41年4月、ドリームランドへの便をはかり、JR大船駅とドリームランド間
5.3キロにモノレールが完成したが、翌年9月には運行停止となった。
しかし、平成8年には運行が再開されるという
開園時間は午前10時~5時半までで、1日中楽しむことができる。
また園内にある、ホテル・エンパイアは非常に目立つ和様建築風の建物で、戸塚・泉・栄のどの区からも人目を惹く。

戸塚いまむかし 写真集 1993年より

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