ドリームランド創設者 松尾國三詳細

創設者、松尾國三について


戸塚区制 70周年記念写真集より

  • 1901年 佐賀に生まれ、10歳にして父を失う。
          家計を支えるため、小学校3年を終えると旅芝居の一座に入る。
  • 1914年 15歳。興行師として独立する。
  • 1919年 大阪で若手俳優30名の一座を創立
          満州やアメリカなどで歌舞伎公演を行う
  • 1931年 富士興行合資会社代表社員
  • 1934年 新宿歌舞伎座経営
  • 1948年 雅叙園観光株式会社 経営開始
  • 1953年 大博劇場株式会社社長・富士興業株式会社社長就任
  • 1954年 松竹からの依頼で大阪歌舞伎座経営立て直しに当たり
         千土地興行株式会社 設立
    大阪歌舞伎座は、1914年に開業した千日前楽天地の跡地に建てられたもので、
    劇場や遊戯施設などが入っていたが、経営(松竹)の判断で

    1930年閉鎖、32年に大阪歌舞伎座となった。
    人気があったが戦後に衰退し、松尾に経営再建を依頼。
  • 1956年 中国京劇団招待など、国際的興行師として活躍
  • 1958年 大阪歌舞伎座閉鎖 千日デパートオープン(60年、屋上に観覧車設置)
  • 1957年 財団法人松尾育英会 創設
          経済的理由で進学できない優秀な学生の支援をはじめる。
  • 1960年 日米修好百年記念に参加、アメリカで親善公演を開催
    1950年代後半、アメリカに視察に行った際にディズニーランドに訪問。
  • 1961年 奈良ドリームランド開園
    関東にも遊園地を作るため、世界中の遊園地の視察に行き、デンマークのチボリに着目。
  • 1963年 千土地興行株式会社、日本ドリーム観光株式会社に改称
  • 1964年 横浜ドリームランド開園(毎日新聞社後援)
  • 1965年 ホテルエンパイア開業 日本随一の高層建築物
  • 1966年 株式会社ドリーム交通(子会社)開業
         モノレール大船線開通。日本初の国産モノレール
  • 1967年 モノレール休止
  • 1970年 日本演劇興行協会初代会長就任
    横浜ドリームランド、アクセスの悪さ等から入場者が減り赤字となる。敷地を売却
  • 1972年 横浜ドリームランド内、パチンコデール開店 千日デパート火災
  • 1973年 高層団地「ドリームハイツ」建設
  • 1974年 ドリーム銀座 開業
  • 1979年 財団法人松尾芸能振興財団設立
    横浜ドリームランドにシャトルループ導入 日本初の宙返りコースター
  • 1981年 ドリーム開発設立
  • 1982年 ドリーム開発、ドリーム交通からドリームランド線の経営権および事業免許の譲渡
  • 1983年 ディズニーランド 開園
  • 1984年 松尾國三、死去
  • 1988年 日本ドリーム観光、 雅叙園観光株式会社との提携を解消
  • 1988年 日本ドリーム観光、ダイエーが経営を引き受ける
  • 1990年   両ドリームランド、ドリームパーク(ダイエー子会社)の運営となる
  • 1995年 ホテルエンパイア 閉鎖
    モノレール大船線、「ドリームランド線」と改称
  • 2002年 横浜ドリームランド閉園
          モノレール完全廃止
  • 2006年 跡地に横浜薬科大学 開校
          奈良ドリームランド閉園
  • 2008年 跡地に俣野公園、メモリアルグリーン整備

 

-なぜ,子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?  2008年
-wikipediaより 引用

 

モノレール


写真:JR全日本

ドリームモノレール完成

4月28日、走行区間では、当時県下最長(5.6キロメートル)の
モノレールが国鉄大船駅~横浜ドリームランド(俣野町)間に完成した。
ドリームランドの傍係会社ドリーム交通が、総工費25億円をかけて
建設したもので、いままで、バスで15分かかっていた同区間が半分の8分に短縮された。車両は跨座式の3両固定編成で、定員は198人。
アルプスを走るアロー・ライン型モノレールにならって先端の頭部が
つき出た赤・クリーム・紺色の三色のスマートなスタイル。
コースも変化に富み、大船観音わきの森林地帯から小雀浄水場を
地上30メートルの空中から見おろしながら、東俣野町の森林をぬけてドリームランドにはいる。
晴れた日には伊豆、箱根、富士丹沢の連峰を眺められ、また
千分の百という急こう配か所もあってスリルとスピード感もあった。
しかし、残念ながら42年9月より運行が中止となり、今はその走る姿を
みることはできない。
40万人の40年史 戸塚 / 横浜市戸塚区役所/編 / 横浜市戸塚区役所 1980年より

電気車の科学 1966より 線路図と概要。

★休止後の主な動き
69年ごろ 71年頃に再開を検討に向けて企画書が作成される。
82年 ドリーム交通ドリーム開発(モノレール事業)とドリーム交通(別会社、バス事業)へ経営譲渡
88年 ダイエーと業務提携
95年 リニアモーターカーでの再開検討
01年 モノレールでの再開検討
~10月 ドリームランド閉園決定
02年 正式に廃止が決定。翌年より撤去工事開始。



リニアモーターカー(HSST)導入に関する記事。
89年の横浜博覧会時、中内会長が搭乗したことがきっかけとされる。
環境調査等も行われ、かなり具体的な話だったが・・・。

横浜博覧会89’にて日本初公開のHSSTの様子(1989年)

閉園直後のモノレールドリームランド駅(2002年)

写真:シェルポのブログ

閉園直後のドリームランド周辺の橋脚の様子(2002年)

写真:シェルポのブログ
モノレールの代表的HPはこちらにリンクさせていただいています。

★その他、文献など

ドリームランドとモノレール

せんそうが終わり、平和な時代になりました。
昭和30年ごろになると、世の中がだいぶ落ち着き、けいざいも発てん
していきました。
そういうときに、ドリームランドの初代社長となる松尾さんは、子どもたちにゆめをあたえるものをつくってやりたいと考えていました。

松尾さんはアメリカのディズニーランドのひょうばんを聞き、さっそく見学に行きました。
かれはそのすばらしさにかんどうし、このようなものをぜひ日本にも
つくってみたいものだと考え、すぐ場所えらびにかかりました。

決定したのが奈良市とこの俣野町です。

松尾さんはドリームランドに一つの考えをもっていました。
それは「子どもに楽しさを、おとなには明日へのかてを。」ということです。この考えについて、げんざいドリームランドそうむ部長の野村さんは
次のように話してくれました。
「今までの遊園とはのり物中心で、おとなも子どももつかれる遊園地でした。そこで先代社長は、ディズニーランドにならい、のり物を全面せきの
半分くらいにして、その他は広いスペースに緑やベンチをおきました。
おとなも子どもも、のんびり楽しめるものにしたいと考えたのです。
当時は、ようやく、けいざいが発てんしてきており、お父さんは仕事で
つかれることがふえてきたこともあって、そう考えたのでした」
工事は昭和38年に始まり、1年のとっかん工事で翌39ねんにかんせいしました。
その後、いろいろな事じょうで、ドリームランドをせまくしなかれば
ならなくなりました。外しゅう列車をなくしたり、遊園地の
およそ半分をけずりドリームハイツけんせつにあてたりしました。

モノレールは、ドリームランドにお客さんを運ぶ目てきでつくられ
昭和41年にかんせいしました。
しかし、重量オーバーできけんということがわかり、1年後にストップしてしまいました。
げんざい、通勤用にモノレールを走らせてほしいという住民の声が
ありますが、野村さんの話によりば「しょうらいモノレールを
通すという方向で検討しております。しかし復活までには、いろいろ
考えなければならないむずかしい問題が残っています。」ということです。
げんざいのドリームランドは、はじめのころとはちがって、のり物中心になっています。野村さんは「お客さんがスリルあるのり物をもとめるため、今後ものり物中心でやっていきますが、ふ近の住宅のことを考え、音の出ないものにしていきたい。また水族館など教育しせつも考えています。」と話していました。

わたしたちのまち / 横浜市立俣野小学校創立10周年記念事業実行委員会  より 1985

ドリームランドモノレール

ドリームランドが開園した翌年1966年5月に開業した。
現在の俣野公園と横浜薬科大学の中間にあるバスターミナルの周辺に
「モノレールドリームランド駅」は存在した。
線路距離は5.3km、大船まで10~15分
「跨座式」というレールが下にあるタイプ
当時のモノレールは未来的な夢の乗り物であった。
橋げたの亀裂と車両の重量オーバー
車両は16トンも重量オーバーしていた。
開業翌年の9月に営業休止
廃止が正式に決定したのは30年以上経った2002年
ドリームランド閉園の年であった。
数年前までは一部の橋脚や軌道が残っていた。
なお、同じ遊園地のモノレールとして 年に誕生した向ヶ丘遊園モノレールは閉園2年前まで30年以上営業し、大船と江ノ島を結ぶ湘南モノレールも
1971年に開通後今も現役である。
戸塚区制70周年記念写真集 短命に終わった夢のモノレールより 2009

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