80年代登場施設

1980年、宮廷庭園がリニューアルされ「ラブスクエアーエリア」に。
83年にはディズニーランド、バブル期には近隣にも多数の遊園地ができ始め、
若者向け、家族向けの遊園地となるべく、さまざまなオリジナル企画を実施。
晩年の姿勢に近くなっていく。88年にはダイエーの傘下となった激動の時代。

ワンプライス入園「ラブスクエア」
79年シャトルループ導入後、1980年に若者をターゲットとし、
試験的に設置した「乗り放題エリア」だった。

敷地面積1万4000㎡m噴水、花壇とくつろげるスペースに
パイラット、ミュージックエキスプレス、チックタックを導入。
(この3つの機種はワンダーホイールなどを製作した三精輸送機(株)経由の輸入と思われる。)

当初、本園とは分離したエリアとなっていて、この3機種には入園料だけで乗り放題という方式をとったが、集客できず半年ほどで本園敷地に架橋によって結ばれた。

1980年の園内マップ。ラブスクエアを導入しているところ

なお、ラブスクエアを遊園地エリアとした後乗り放題としての対策は、
「フリーライドチケット」の導入。

75年に団体用に発見したのをはじめ、84年から秋のみ販売し、89年には通年利用可能になった。

ミュージックエキスプレス
1980年より。ヘイヘイおじさんの担当していたアトラクションとして有名。
閉園まで人気があった。
ちなみにヘイヘイおじさんが学園天国を歌いだしたのは小泉今日子のカバー時代かららしい。

チックタック
1980年から。振動式高速回転絶叫マシン。
当時神戸ポートピアランドにあったTAGATA(通称タガタディスコ)と同じ構造と思われる。
(但しポートピアランドの方が1年遅い導入である。)

97年まで営業していた。跡地にプレイロビック、ワンニャンランドが出来た。
尚、うしろの黄色い仕切りだけは最後まで残っていた。
現在はTAGATAディスコがタガダ・グアム・アミューズメントパークに存在するが、国内に同機種はないようだ。


遊園地ぴあ 1994より

貴重なチックタック、ワンダーホイールの取材動画 (1995年)
チックタックを動かすヘイヘイおじさんの姿も!

パイラット
ラブスクエアーエリア中心部に(当所から考えるとかなり思い切った場所?)に建つ絶叫マシン。
独・フス社製の絶叫マシン導入第1号?

としまえんと同じもの。45人乗りで最大傾斜70度。1980年から閉園まで存在。

後ろにパルテノン本園入口とスーパードリーム時代の看板も写る。(東京周辺遊園地ガイド 1986)

晩年の様子(2002年)


としまえんの同機種。
「PIRAT」を「パイラット」と呼ぶか「パイレーツ」と呼ぶかの違いはある?

コーヒーカップ
1982年登場。ミゼッティ工業導入。
かつてのティーカップは観覧車の裏手にあったが、こちらは円形レストラン横の遊具群にできた。八木山ベニーランドなどと同じもの。

※撮影は2002年

サーキット2000
1984年、開園20周年記念に導入。
いろんなタイプの車がサーキットコースを走る子供用の自動走行ドライブマシン。

1984年から閉園まで存在した。

写真:『戸塚いまむかし写真集』/郷土出版社 1993

遊園地ぴあ 1998

 

レインボー
1984年から、開園20周年記念としてサーキット2000と共に導入。
ウェーブスインガーの隣に位置し、閉園まで存在。

虹の形をした座席に乗り空中を回転する。

後楽園ゆうえんちにあった同機種

晩年期(2001~2002年)


後楽園Verの解説。ドリームランドも同じものと思われる。(遊園地ぴあより)

コンドル
1988年より。ドイツ製の回転型展望。
最大上昇時35mで富士山や江ノ島が見渡せた。

2002年の様子

写真:シェルポのブログ



としまえん イーグルの標示(2017年撮影)

スカイサイクル
1989年登場。
高い位置のレールの上を自転車型の乗り物で巡る。

トーゴ製。あらかわ遊園など、全国に導入されているものと同じ。
(他の遊園地同様だが、ドリームランドのものにはオリジナルマークが入っている。)

2002年撮影

ドリームレーサー(マイカート)
開始時期不明。80前半頃?
オーバル型のコースを回る子供用のサーキットのようなものだったらしい。

メーカーはサーキット2000やコーヒーカップ等と同じミゼッティ工業
大海賊の西隣に位置し、96年ごろまで存在。

ドリーム迷路
大海賊より東側、こどもの(中世の)城の跡地(城そのものを改装していた?)に80年代中期ごろに
造られた巨大迷路。

周囲にはおとぎ列車が走っていた。2施設とも90年頃に廃止される。
この一帯は大海賊の裏手にあたり、道が細くわかりにくい場所であった。
解体後の跡地はグラウンドとなっていたようだ。

88年ドリームランドイベントパンフレットより。
推していることから、88年導入かもしれない。

1988年ごろの園内マップより文字加工

童里夢神社(ドリちゃん神社)
ドリームランド2号売店の隣にあったドリちゃんを御神体としたミニ神社。
縁結び、交通安全、夢をかなえる心願成就のご利益がある。
定かではないがおそらく80年代製。閉園後に奈良へ移動したと思われる。


写真:セブン道楽様 (2002年)

変りだね自転車
おもしろ自転車とは異なる?調査中。

ミニSL(チビロコ?)
調査中

夢一座
レストランループ隣に位置するイベント会場用の建物。
期間限定の展示などを開催。

ゲームコーナーガリバー
80年代に登場か調査中。
プールの横のガリバーの付近に閉園時まで存在したゲーム機の並ぶ建物。

ジョイパックドリーム
80年代にはボウリング場、ビリヤード、カラオケ、ゲームセンター、
レストランブローニュなどが入っていた。
90年代に、ジョイパックドリーム、テニスコート、ゴルフ場などを含めた一帯がドリームスポーツ(閉園後はドリームスポーツプラザ)と総称されるようになったようだ。
ちなみに、ジョイパックビル内のみの内容はドリームスポーツガーデンとも呼ぶようだ。
閉園時存在した施設は、ドリームスポーツプラザとして、2004年まで営業。

ドリームボウルも開園当初より一時休業を経て2004年まで営業しており、
ヘイヘイおじさんが指導員として活躍。

テニスコートなど現在一部の施設が残り、横浜薬科大学内の施設として再利用されている。



※撮影は2002年、2003年閉園後(写真提供:セブン道楽様)


2000年のボウリング場と廃墟のエンパイアホテル(駐車場側から)
写真:シェルポのブログ

テニスコート・ゴルフガーデン
80年代ドリームビル側、モノレール駅付近に移設され、
エンパイアの裏手にあったテニスコートはゴルフ場が広げられ全体が2階建てのゴルフガーデンの施設となった。
尚、北側手前のインドアコートは91年頃完成?し、
奥側のコートと合わせてスピンクス(SPIN-X)横浜テニスコートとなった。
現在は奥側のコートも室内仕様となっており、横浜薬科大学の敷地内で運動場として利用されている。


ランド坂下入り口前看板軍。横浜薬科大学の看板として再利用されていた。
(2002年撮影)

ドリームビル
1980年完成の事務所。尚、閉園後もドリーム開発と奈良の事務所となっていたらしい。
現在は1階に横浜銀行、2階は2015年より、
横浜薬科大学のカフェテリア「ローズガーデン」が入っている。


2003年、2016年撮影

カフェテリアは一般開放もしていた。(2016年)

ドリームビルの定礎(昭和55年10月)
※横浜銀行や隣のローソンの様子はドリームスポーツプラザのページでご紹介。

グリーンパレス
エンパイアホテル東手前側に1983年に完成した宴会場。
この建物も現存し、横浜薬科大学の施設となっている。

※撮影は2003年

ドリちゃん友の会(ドリームランド友の会)
89年設立。

会員に年間パスポートやニュース、割引券を郵送した。


ドリームビルの隣は神奈川中央交通のバス乗り場です。(2002年)
(『ドリームランド行』名では往来していません)
写真:シェルポのブログ

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